立教大学ジェンダーフォーラム機関誌
「じぇむ」第5号

2001年度全カリ総合B
『ジェンダーで読みとく現代社会』

テーマは“性と人権”



 
 
 今年度も、ジェンダーフォーラムの企画で、全カリ総合B『ジェンダーで読みとく現代社会』授業を開講しました。第1回目から、反響は想像を超えるものがあり、噂を聞いてあとから受講する学生が殺到したほど。この授業人気の根源、レギュラー講師伊藤悟先生に感想を聞いてみました。
 
 

 「ドラマ」のある講座だった。

 ゲイである私が講師であることに衝撃を受けたり、同性愛者を「『普通』の人間ではない」「気持ち悪い」と思っていたりした人が、「私たちと何の変わりもない人間だ」と認識するようになる。そして、レポートに、レズビアン/バイセクシュアル/ゲイであることを受け入れるようになるまでの自身の軌跡(人と違うことがいけないことだと無意識的に植え付けられ、仮面を被って生きざるを得なかった)をつづってくれて、その内容を、匿名ながらも、伝えることで、参加者が自分の身近なところに、セクシュアル・マイノリティがいることに、そしてどうしてそれが見えないのかに、気づく。
 「女らしくない」と言われ続け、女性は男性と平等になりえないのか、とうちのめされていた人が、田嶋陽子さんのビデオを見て、そのことばに励まされ、「私は、私でいいんだ」と涙を流して癒される。
 自分の「性的指向」が、同性へ、異性へと揺れ、悩み苦しんでいた人が、この授業を受け、「すこたん企画」(http://www.sukotan.com/ 同性愛に関する正確な情報を発信している団体)のホームページを見て、セクシュアリティの多様性を肯定的にとらえられるようになり、自分を受け入れることができた。
 多くの人が自分の経験を問い直し、自分の周囲をチッェクしてみて、「フツー」「常識」「固定観念」の危うさを知る。テレビで、「男らしさ」から外れる人をからかい軽蔑している(例えば、「オカマ」は、いま最も広範囲に差別語として機能していることばのひとつだ)・自分がある色を好んだら、「〜らしくない」と言われて傷ついたことがある・『おかあさんといっしょ』というテレビ番組は、なぜ「おとうさん」ではないのか……。こうしたジェンダーやセクシュアリティに関して「あれ、おかしい」ということが日常生活でいくらでも発見できるのだ。
 そして、「幸福」を追求する権利は、個人の性に関係なく存在していることを考え、無知はもちろん、中途半端な理解も「差別する側」に立ってしまう(そしてそれを自覚できない)ことを認識し、性が人権問題であることを知る。

 こうした形で、参加者が、自分の想いをとらえ直し考え直せるというのも、今までの教育の中で、「性」や「人権」や「ジェンダー」や「多様なセクシュアリティ」ゃ「フェミニズム」が全く扱われてこなかったという参加者たちにとって、この講座が、次々と新しい視座と「事実・現実」を提示できた、ということだと確信している。
 ゲイである私をはじめとして、男性もジェンダーに縛られていることをわかりやすく分析して下さった浅井さん、女性性器切除の問題を知らせて下さった土屋さんと渡辺さん、ドメスティック・バイオレンスの現実を伝えて下さった高畠さん、「男の子育て」を実感を込めて話して下さった土堤内さん、社会政策にあるジェンダーバイアスを明快に説明して下さった藤原さん、そして、こういったラインナップを作っていただき、ご自身の過去およびいまの経験を熱く語って下さった湯澤さん……どの人たちからも、「人間の数だけ生き方がある」ことの実証とも言うべき個性とともに、「自分らしく生きる」というメッセージが伝わってきたからこそ、参加した人たちのこころに多くのものを残せたのだろうと思う。そして、話をした私たちも、たくさん、参加した人たちからフィードバックをもらった。私は、今まで、これだけ真剣に、毎時間、短時間の間に、自分の言葉で感想を書いてくれた参加者に出会ったことがない。とても充実した体験だった。
 現在、全国の大学で、ジェンダーやフェミニズムが、それ以前に「性」そのものが、授業で扱われることは、まだまだ少ない。私のような同性愛者をはじめとするセクシュアル・マイノリティが、講演などの形で、自分たちの置かれている状況や思いを語れる場は、さらにもっと少ない。そういう状態の中で、この立教大学の「全カリ」が、こうした学習の場を提供しているのは画期的なことだ。参加した人たちの、こうした場を求める強い声に耳を傾けてほしい。これから劇的に変化していくであろう社会の中で、「フツー」「常識」「固定観念」に縛られない「自分探し」は何よりもまして必要性がましてくるだろうから。

伊藤悟