フランシス・コンランさんを偲んで ひかり達一

 私とフランシス・コンランさんとの出会いは、その生涯においてわずか3日間だけでした。しかし、私は親や兄弟との間でさえまだ通わすことができない心の交流を、コンランさんとは出会った瞬間からできたように思えました。それくらい、私には大切な出会いとなりました。

 フランシス・コンランさんと私が知り合うきっかけは、伊藤悟さんが一昨年作って下さいました。初めはずっとメールのやりとりをするだけだったのですが、昨年の10月コンランさんが暮らすオーストラリアのパースでLGBTのパレードがあることを知り、ぜひパースに行きたいと思い、コンランさんとお会いする約束をさせていただきました。しかし出発の数週間前、コンランさんが病気だということを知らされ、私はたいへんびっくりしました。はたしてちゃんと会うことができるのか、心配でした。

 パースへ出発する日は、あいにく大型の台風23号が接近していて、飛行機が飛ばない可能性がありました。けれど何としてもパースに行きたい、コンランさんに会いたいと思い、私は出発の前日に飛行機を夕方出発から早朝出発の便に変更しました。それで経由地の香港でわかったことですが、当初の予定の飛行機は、香港到着が大幅に遅れていて、パース行きに間に合いませんでした。もし便を変更していなっかたら、コンランさんとは一生会えないところでした。

 パースでコンランさんとお会いした3日間は、私にとってとても楽しい時間でした。コンランさんはとても優しく、また私に対してたいへん気配りをして下さいました。1日めはゲイの政治家の方々を紹介して下さり、またパレードの集合場所まで案内して下さいました。さらにパースの地図や時刻表まで用意して下さいました。けれど歩くたびに息切れをされていて、とてもしんどそうでした。2日めはパレード本番の日でした。私は言葉では言い尽くせないくらい感激しました。たくさんの好意的なギャラリーが見守る中、コンランさんとパートナーのシュ−リェンさんたちと共にパースの町を歩けたことは、私にとって一生忘れられない思い出です。3日めはコンランさんのお宅に訪問させていただき、近くの海沿いの道を、一緒に散歩しました。そこでいろんな話をしましたが、特に印象に残っているのは、本当は学生たちの引率で、12月に日本に行くことになっていたのですが、病気のため中止になったことを、残念そうに話されていたことです。その後コンランさんの運転で、僕がリクエストしていた教会に一緒に行き、パースの夜景を川の対岸から眺めたあと、ホテルの近くでお別れしました。これが私にとって最後になりました。

 その後私はもう一度コンランさんにお会いしたくて、1月のパース行きのチケットを申し込みましたが、間に合いませんでした。けれど、パートナーのシュ−リェンさんにはお会いすることができ、コンランさんのことをいろいろ話して下さいました。
 まず彼は大学で日本語を教えておられたのですが、病気で11月から入院された(一度退院された期間もあります)にもかかわらず、テストの作成から採点、成績つけまで全部ご自分でされたそうです。また、私のことも、一緒に撮ったパレードの写真を送らなくてはと、気にかけて下さっていたそうです。さらに、この3年間ドクターの資格をとるために、大学院で学ばれていて、最終論文も見事に書き上げられ、教授の最終的な判断を待っている段階だったそうです。さらにさらに、亡くなられた12月24日は本当は来日されているはずだった日で、彼は平和の大切さを学生たちに伝えるため、広島に千羽鶴を贈る計画を立てられていたそうです。それで、お葬式の前日、シュ−リェンさんや二人の娘さんたちは、彼の棺に花ではなく千羽鶴を入れるため、折り紙で鶴をおられたそうです。
  その他にも、コンランさんが家族にとってよき父であり夫であったこと、彼のルーツであるアイルランドへの熱い思い、パースの日本人コミュニティとの関わりについて、そして平和を愛し人はみんな平等であるはずだという思いから、LGBTの人権を声高らかに訴えてこられたことなど、私の知らなかったコンランさんの姿を、教えて下さいました。けれど、やっぱり生き続けていてほしかったし、コンランさん自身ももっと生きたかったと思います。

 最後に私はコンランさんとの出会いを通して、昔倫理の授業で学んだ賀茂真淵と本居宣長のことを思い出しました。本居宣長にとって賀茂真淵との出会いは、松阪でのたった一晩だけだったけれど、その出会いが本居宣長の人生を決定付け、彼は国学を大成させました。私もコンランさんとの3日間の出会いを大切に、平和を愛し、世界中にいる同性愛者たちのために、役に立てる自分になりたいと思います。コンランさんが叶えることができなかった夢の実現のお手伝いを、これからしていくことができたらと思っています。

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